ご由緒

従軍紀念碑・忠魂碑

久伊豆神社には、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・大東亜戦争において、我が国のために尊い命を捧げられた英霊に感謝と崇敬の念を捧げる「忠魂碑」が合わせて5基建立されています。場所は、拝殿に向かって右手側にあります。

毎年8月15日には、慰霊祭を執り行います。どなたでも参列していただけますので、ぜひお参りください。

〇「従軍紀念碑」 日清戦争の忠魂碑

建立年月日: 明治29年12月

建立者  : 岩槻町従軍者建之 発起人

揮毫者  : 埼玉県知事従三位勲四等男爵 千家尊福 撰並書

碑文

従軍紀年碑 近衛師団長陸軍中将従三位勲二等功三級男爵長谷川好道篆額

明治二十七年八月征清の大詔を下し賜ひしまゝに我南埼玉郡岩槻町の人々も御軍の列に加はりて出立けるか波風荒き海路もせはるせなく引渡りて北風寒く吹すさみて肌も氷るはかりなる遼東の野におきふしてそか労きにたへ又あらかねの土さへ裂くといふ暑き日に台湾の地にものして瘴癘におかさるゝことなく常に身をすこやかに養ひたもちて千万の敵をものともせす健ひ進ミてうちしそけしはいかに雄々しく勇しき事なりけむかくて清国は射むかふ術なく和を請ふまゝにそれを容れたまひしによりてこの里の軍人たちもほと■■に功をたておのかしゝ名誉をかゝやかして帰り来つるうれしさはたとふへき言の葉もあらすなむまして御軍につかへて出立しより朝な夕なに恙なからむことを乞祈ミまたその家族の為には種々に心を尽して慰めつゝありし里人等のこゝろにはたゝにはえあらでやかて祝宴をまけてその功をたゝえその労を慰むるなとひたすらにまめこゝろの限をつくしてものしけるとそされとなほあかぬ心のすさひに後の世のかたり草にせはやと碑を建んことをあひはかりてそか文をこふまゝに軍人の功をよろこひ軍人等のまめなるしわさを嬉しみて一ことかきしるしぬると歳は明治二十九年十二月 埼玉県知事従三位勲四等男爵千家尊福撰並書

 

〇「明治三十七年八年戦役従軍紀念碑」 日露戦争の忠魂碑

建立年月日 : 明治三十九年十月十九日

従軍者   : 井野彌太郎(他六名)

 

〇「日露戦役紀念碑」 日露戦争の忠魂碑

建立年月日 : 大正五年五月十四日

建立者   : 帝国在郷軍人会岩付町分会

揮毫者   : 陸軍大将 寺内正毅 書

 

〇「大正三年乃九年戦役紀念碑」 第一次世界大戦の忠魂碑

建立年月日 : 大正十三年六月

建立者   : 帝国在郷軍人会岩槻町分会

揮毫者   : 陸軍砲兵大佐 二味篤之助

 

〇「忠魂碑」 大東亜戦争の忠魂碑

建立年月日 : 昭和三十三年九月二十二日

建立者   : 市長 市議会議員 自治会長 郷友会

揮毫者   : 靖国神社宮司 筑波藤麿

戦没者等  : 旧岩槻町出身二二〇余柱の英霊

碑文

嗟 尊き哉

満州事変・支那事変・大東亜戦争等に身命を抛って祖国日本守護のために戦没せられた旧岩槻町出身二百二十余柱の英霊よ 諸君の尊き犠牲も遂にその甲斐なく大東亜戦争に於いて開闢以来空前の失敗をみたのであります しかし終戦後の不幸の中に平和と自由を重んずる文化的民主国家建設の理想を確立し国運の向上に基づく民族的発展を自覚することが出来ましたのは実に第一線に立って国家の守護に当たられた尊き英霊の恵に因ることと感銘深いものを覚ゆるのであります 依って茲に旧町一致して諸君の遺芳を慕いみ霊を慰め栄光を万古に伝えんとして此の忠魂碑を建立し永く郷土の支柱と仰ぎ尚安らかにその冥福を祈るものであります

昭和三十三年九月二十二日

岩槻市長 平野広 撰文

史家 原口扁舟 書